お国自慢が苦手だ

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私は子供の頃から引越を何度かしてきました。

毎回方言で悩まされるのですが(アスペは方言が苦手)、その次の悩みの種がお国自慢です。

なぜ苦手なのかと考えたのですが、やはり自己肯定感が低い・本音と建前が使いこなせないのが原因だと思います。

 

出身地は手軽な話題

出身地というのは、話のネタとしては大変便利で重宝しています。
特に仕事の飲み会や初対面の時。
相手の出身地への理解が進みますし、私のように自己主張の弱い人間でも、「ああ、○○出身の人ね」と覚えてもらえます。

お国自慢のウザいところ

ところが、それが自慢話になってくると、とたんに「ああ、またか」と嫌な気持ちがムクムクと湧いてきます。

お国自慢には、相手を下げて自分を上げる面があると思います。
お前のとこにはないだろうけどうちにはあるんだよ、と間接的に聞く人ををディスっているように感じます。

さらに、自分自身の自慢ではなく郷土の自慢なので、罪悪感を持たずに堂々と気持ちよく自慢を楽しめるのです。

しかも引越先や出張先でやられると完全アウェイです。みんなで寄ってたかって私を降伏させようとしているかのようです。

「このへんは魚が美味しいんだよ」
「温泉で有名だよ」
「このお菓子買って帰りなよ」

と言われても、
私が○○出身と知っていながら魚と温泉を自慢してくるとはふてぇ野郎だ。喧嘩してぇのか?このお菓子だって他県の銘菓のパクリだよ。無知か?気持ちよさそうに自慢話にラリってやがる。

「東京のおそばは黒くてまずかった」
「醤油ラーメンってからそう」

調子に乗ってディスり始める人たち。私にそれを言うことで何か良いことがあるのかい?水の硬度による出汁の違いも分かってない。醤油ラーメンを食べたこともないのにディスる。そんな塩からいもんがメジャーになるわけないだろ。対応に困る。

・・・ブログなので張り切って悪い言葉で書きすぎました。
こうやって文字に起こすと自分はなんて性格が悪いんだろうと思います。
それに対して自慢する側のなんと無垢なことか。

実際は、こう思ってもその本音をすぐに心から消し去ります。こうやってまじまじと向かい合うのはほぼ初めてです。それについては後述します。

この地を楽しんでもらおう、美味しいものを食べてもらおう、好きになってもらおうという気持ちがあることは分かっています。

私の故郷が一番とは言えないことももちろん分かっています。土地それぞれに良いところがあることも分かっています。

現実では「へーすごいね」「今度食べてみたい」「そうだね、黒いよねー」とニコニコ対応してます。言い返したことなど一度もありません。

 

過去の嫌な出来事

トラウマと言うほどのものでもないですが、昔、お国自慢に関する嫌な出来事がありました。

高校生の時、引越し直後に近所の方と母と何人かでお話をしていました。
私は高校生で話題に入りづらかったのでほぼ聞くだけ。聞くだけといっても方言が強いので一苦労でした。

近所の方から続々とお国自慢が繰り出されました。この地の良いところを知ってもらおうという親切心は分かっていたつもりです。ウザいながらもありがたく拝聴していました。

その時です。母が口を開きました。
「○○(以前住んでいた所)にだって美味しいものはあるよ」と若干キレ気味で。

私はその時、すごく嫌なものを見てしまった気になりました。
同族嫌悪というか。自分が抑え込んでいるものをまざまざと見せつけられたというか。

心理学で言う「影」ですかね ↓

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そんなことがあり、私には苦手なことは他にもたくさんありますが、お国自慢はちょっと特別な苦手なことです。

 

自己肯定感と本音と建前

私はいつの頃からか自己肯定感がほぼありません。
OKグラムで言うと、
自分=NG
他人=OK
です。
どんなときでも自分は間違っていて、どんな人でも自分以外は無条件に正しいです。

たぶん子供の頃、私の意見の何が間違いなのか分からないまま、あなたは間違っている、正しい答えはこれなのだ、と押し付けられることが多かったのでしょう。アスペなんでしょうがないです。

なんで、と聞くと大人は困る。子供だましの説明で適当にあしらう。変に物分かりの良い私は、質問することをやめてしまいました。

気持ちにフタをして、考えることをやめ、ただ正しい答えに服従します。本音の存在を無くし、みんなに受け入れられる建前だけで行動してきました。これが当たり前だと思って生きてきました。受動型アスペルガーの出来上がりです。

絶対間違ってると思う他人の意見にも従います。
これは、相手を立てるとか、波風を立てたくないとか、そういう対人スキルとは別物です。そういう人は、本音がちゃんと残っているでしょう。
私の場合は、心を殺して、考えるのをやめてバカになって、ただ従うんです。
自分は間違っているんだから考えてはいけないのです。

この過剰適応な性質が、お国自慢のようにみんなが許せる明るい自慢話にも耐えられないのだと思います。

普通の人ならお互い様、持ちつ持たれつで済ませられるところを、私の場合は自慢されっぱなしで積もり積もってしまいます。

本音と建て前を使い分ければ良いものの、それができません。
建前を優先しすぎて、自我から本音を消し去ってしまいます。

自我から消すとコンプレックスになります

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AB型だからというのもあります。
子供の頃から、AB型は二面性があると言われる度に、二面性は持ってはいけないのだと心に誓い、本音は捨ててきました。こんなこと考えちゃいけないと。
血液型占いは全く信じていませんが、教訓として変に取り入れてしまいました。

理屈っぽくて数値にこだわるので、○○という魚の漁獲高が日本一だとか、日本一ではないけど脂が乗ってるとか、温泉の泉質が独特だとか、そんな風に言ってくれれば納得して自慢を聞けると思うのですが、そんな具体的な情報はなぜか聞けません。

私も出身地の良いところを聞かれることはあります。
一般的によく知られている土地の特徴や特産物を口にします。相手に不快感を与えないように慎重に話します。なんでみんな生き生きと自慢できるのか分かりません。

故郷を誇りに思う気持ちがないかというとそうではありません。
ただ、こういうときの私は日本地図を俯瞰で見ており、全国に様々な特産物が点々と配置されている中で、自分の出身地の特産物を取り立てて褒めるのもおかしいなと思ってしまうんです。

相手の特産物も俯瞰で見て、数あるうちの一つと捉えれば、自慢されても何ともないんでしょうが、「自慢される」という行為自体が駄目なようです。考える力を奪われて、なんだか分からないけれどひれ伏さなければならないと思ってしまいます。

治したい

自己肯定感が低いのは治ると思っています。
これは生まれつきの発達障害の特徴ではなく、それによって生じた二次障害だからです。

自分の意見が正しいときは正しいと自分で認識し、他人からも太鼓判をもらう。間違っている時は間違っていると言ってもらい、自分も逃げずに間違いと向き合う。そんな訓練を続けたいです。

それに伴って、本音と建前も使い分けられるようになっていくのではないかと思います。自尊心があれば、本音を保ったまま建前を言えます。そもそも「自慢しやがって」なんて思わなくもなるでしょう。

自分に誇りを持っていないから、恨みや憎しみでいっぱいになるのです(by美輪明宏

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もうちょっとだと思うんです。
先日、あからさまな学歴自慢のマウンティングに、本音を保ったまま対応することができました。対応といっても数秒無言になった後「へー、そうなんだ」と言っただけですけどね。これが「すごいですねー」と言えたら完成です。

以前の私は本音を自我から追い出して「すごいですねー」と言っていました。
本音を殺さなかったのは、私にしてはすごい進歩なんです。

あまりにも「僕ちんすごいんだよ、ほめてほめてー」があふれ出ていたので、ひれ伏すことができませんでした。彼には感謝しています。やはり年を取ると気付くことが増えますね。

この人アスペかな、と思えるような人の中でも、本音を殺している人とそうでない人が見受けられます。この違いは何なのかな。どちらにしても、おじさんおばさんになるまで頑張って生きて欲しいです。きっと気付くことが増えるから。


今度お国自慢されたら、本心から「すごいねー」と言いたいです。
本心から思えない場合でも、「すごいねー」と口で言いつつ本心を保った状態でいられたらいいなと思います。