家政夫のミタゾノ、今回も面白かったー。
「オリジナリティとは、ばれない盗作である」
ウィリアム・ラルフ・イング(イギリスの司祭)
これが家政夫のミタゾノ第五話のテーマです。
ミタゾノさんは言います。
もし「パクりだろ」と言われたら、信念を持ってこう答えるんです。
「リスペクトしてオマージュいたしました」と。
つまり、
「家政夫のミタゾノ」は、
「家政婦は見た」をリスペクトしてオマージュした、
「家政婦のミタ」をリスペクトしてオマージュしました。
ということでしょうか。
後半ミタゾノが視聴者に向かって語るところから解決編に入るドラマの作りは、古畑任三郎をリスペクトしてオマージュした?
今回の「犯人が被害者になりすます」というストーリーも、古畑任三郎の風間杜夫の回をリスペクトしてオマージュした?
ドラマの最後の「チーン」という効果音は「トリック」や「ケイゾク」をリスペクトしてオマージュした?
でも、リスペクトとオマージュを前面に出したこの家政夫のミタゾノは、一つの作品として強烈な存在感を放ち、ファンも多く、高く評価されています。
良い作品にオリジナリティは必須ではありません。
むしろ、純粋なオリジナリティを持った作品なんてほとんどないと言えます。作品に限らず、ビジネス、社会、歴史、哲学、生物など、あらゆることは分野を超えて影響を与え合っており、完全なオリジナリティなどほぼありえません。それが「オリジナリティとは、ばれない盗作である」ということだと思います。
ピー音で消されていた部分は、
「竹久夢二って見返り美人のパクリなのよ」
「じゃああのモナリザパクリます?」
で合ってるかな?
ミタゾノさんの決めゼリフ
「人間は真実だけでは生きていけない。多少の夢や嘘、時には自分を騙すことも必要なのよ」
そうですね、まっすぐ純真なままでは社会を生き抜けません。時には自分を騙さないと。しかし、なかなか難しい。うまく騙して導いてくれる人がそばにいるとすれば、手放してはいけませんね。
昔の私は潔癖で、人真似はいけないことだと思っていました。自分に厳しく、他人にも厳しかった。でも最近はだいぶ頭が柔らかくなり、真似から入るのもアリだよね、と思えるようになりました。
そのきっかけは、
「人はオリジナルで創るよりも何かを模倣するときのほうが実力を出せる。1からオリジナルを創ろうとすると、力みすぎて萎縮して実力を発揮できない。何か元になるものがあってそれをアレンジするほうが実力を発揮できる。
という風なことをどこかで読んだからです。
模倣していると開き直ったほうが、リラックスして取り組めます。全力を出せます。限界を突破し伸びしろが増えます。こうやって練習を重ねていけば、いざオリジナルで勝負しなければならないときのための体力がつきます。
初めからオリジナルを創ろうとしても、技術がない。経験がない。思いは空回りし、力みすぎて羽が開かない。
YouTubeで曲を探している時、たまに【MAD】と付いたものに遭遇することがあります。MADとは、既存の曲に合わせて既存のアニメ映像等をつぎはぎ編集した動画らしいです。
他人の作った曲に、他人の作った映像を切り貼りして編集する。確かにかっこよく編集できているけれど、自分では何も創り出せませんよと堂々と言っているようなものではないか、と以前は思っていました。
でも今は、これも良いのだと思っています(著作権の問題は置いといて)。大量の素材の収集、絵の記憶力、曲の理解力、編集テクニック、何より根気。私には真似できません。何もしない私よりも、全力で自分の動画を作っている彼らの方が絶対に人生を謳歌し自分に責任を持っている。
個性的に見える芸術家や漫画家やスポーツ選手も、たくさん練習し、真似をし、それが洗練されていって一人の人間として形作られたということ。
良い意味でモノマネして吸収して自分を作っていきたい、と思わされたドラマでした。