2018紅白の米津玄師よかったよ!

もう1か月も経ったのに、今頃すみません。

正月忙しくてどこにも吐き出せず、そのまま忘れていくのかなと思ってましたが、ついに今日限界が来たもようです。遅ればせながら勝手に吐き出させていただきます。


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米津さんのこと、結構ハラハラして見てました。
テレビにあまり出ない人だし、紅白初出場で、もちろん生だし。
事前に話題になってプレッシャーもすごかったろうし。

中継でよかった。大勢に囲まれ目まぐるしい展開の中で披露するのじゃなくて本当によかった。私も似たような障害を持っているので心配でした。



椎名林檎宮本浩次がいつも通り笑わせてくれて、

ユーミンが不調なのにサプライズ生歌唱してくれて、

星野源が「アイデア」の中盤で歩き回る様式美。

すごくいい流れでした。



そして、待ってました米津さん。

大丈夫だろうか・・・
こんなに手に汗握ったのは、Mステスーパーライブの菅田将暉さん以来です。

菅田さんは声が震え歌詞を間違えてしまいましたが・・・彼は失敗に動じずバネにできる方とお見受けしました。第一線で活躍される方です、私のような者が心配するなどおこがましいことなのでした。

米津さんはどうだろう・・・

・・・
・・・

よかった~~、生で歌える人だった!
音響もいい。安心して聞ける!
なめててすみませんでした!心配してすみませんでした!

美術館のろうそくの演出が良かったですね。画面が美しくて惹き込まれました。菅原小春さんのダンスもよかった。

一番盛り上がるところでちょっとひっくり返りましたが、そんなのどうってことないです。感動しました。

見事歌い上げた後、会場とのやりとりもよかった。言葉を誠実に選んで話しているのが伝わりました。

喋るときに手が動くボディランゲージ、好きです。爆問の太田さんも手が動くんですよね。好きです。

2013年の Linked Horizon、2016年の RADWINPS も同様にハラハラして見ていたのですが、この2者は上手く行かなかったんです(個人的感想)。初出場だと音響の調整が上手くいかないのでしょうか?でも、米津さんが敵を討ってくれましたよ!(と勝手に思ってます)


その後のMISIAがすごかった・・・
CDより上手い。なにあのロングトーンとホイッスル。すげーんだけど。長崎のオルフェンズも良かったけど、今回ダントツでいい。

その後記憶にないのでたぶんサスケかなんかに変えられてました・・・
戻ったら、石川さゆり&布袋からのサザンでお祭り騒ぎ、そこから鐘の音ゴーンへの落差を味わう。

あー楽しかった!

やっと吐き出せた!

獣になれない私たち(第2話、第3話)けもなれ


ありがとうございます。
お仕事シーンがだいぶ見やすくなりました。


スマホの画面も職場も見やすくなったし、パワハラがコミカルになって、胃痛の心配がなくなりました。

新人の男の子が頭おかしくなって面白くなってくれてほんと助かりました。



しかし、夜のスイーツ店が・・・

カクカク映像やめてください!

酔って一時停止してしまいましたよ!

学生の卒制か何かなの??

表現したいことは分かる気がするけれども。




派遣の子が辞めたとたんに手を出すなんて最低・・・

しかも、どっちも元カレ元カノと切れてないし。

元カノなんて、仕事やめてうちに住めなんて言われたら、イコール結婚かと思うじゃないですか。

二人して恋人の悪口を言いながら距離を縮めやがって。

ガッキーも、奢られるもの次第で仕事手伝うとかなんとかいいやがって。そんなこと言える時点で、一歩踏み込んでる関係ですよ!



うさぎ賛成!
10羽でも20羽でも飼うがいい!


中学聖日記(第3話)感想


あー・・・

これはもう、完全に、「青い鳥」ですね。


お祭りの夜の・・・・


groveが確かに頭の中で流れました。

夏川結衣とトヨエツの手が触れて・・・

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手が触れてしまいました・・・!


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架純ちゃん・・・もうちょっと表情出してくれてもいいんじゃよ。

年寄りには分かりにくくてのぅ。

かわいいからずーっと見てられるんじゃけどな。



最後のるな(小野莉奈)ちゃんの演技がすごく良かったよ。



今回も、映像と音楽がきれいでした。



絵、下手でごめんなさい。



下町ロケット(第1話)、中学聖日記(第2話)感想

下町ロケット(第1話)

いつも通りでした。
私は見なくてもいいけど夫が見たがります。佃製作所で働きたいといつも言ってます。

  • 土屋太鳳が大人っぽく綺麗になってました。

  • ピーターが出てきたと思ったら尾上菊之助でした。

  • 眼鏡の先輩徳重聡だったの?!

  • 六角精児ってスーツ着るとこんななんだ。首が苦しそう。

  • 古舘伊知郎けっこう上手い。

  • 表参道高校合唱部の野球部の子がいなくなってがっかり。

  • イモトは好きだけどイモトじゃないほうがよかったなぁ。集中できない。

 

中学聖日記(第2話)

リレーは出ようよ・・・

先生の心の動きが感じられません。そういう演出?

有村架純は元々笑ってなくても笑ってるように見えちゃう顔なのかな?

いつも微笑んでいるのですが、どういう微笑みなのか心の機微が伝わってきません。観音様のように達観しているように見せておいて、コイツ実は何も考えてないんじゃないのか?と思ってしまいます。

微笑んでるかキョトンとしてるかどちらかしかないんですよね。

それで行動がバカすぎなので、なんか病気に見えます。


黒岩君に色のついていない新人を持ってきたのはよかったです。ストーリーに集中できます。でも彼氏と顔がちょっと似てて最初見分けがつきませんでした。

「もっと何か素晴らしいものじゃないのか?恋って」のセリフは良かった!このドラマを見てて良かったと思えました。

車にハチマキも良かったです。
映像が綺麗なんですよね、このドラマ。


黒岩君の湧き上がる感情を抑えきれない感じがよく分かります。それでいて、ギリギリ怖くない。もうちょっと男を感じさせるのかと思いましたが、そうでもなかったですね。

2人とも、あえて色気を消しているのでしょうか?
安易にキュンキュンさせないのは好ましいです。

彼氏と遭遇しても、ちゃんとした理由があるのだからやましくないはずなのに、あの引きは何なんだ?めんどくさい。
あと、彼氏廊下に長く居すぎ。

十牛図から見る日本人の個性とは(180723 NHK「100分で名著」河合隼雄スペシャル4 の感想)

全4回、分かりやすくて良い番組でした。
去年の宮沢賢治編を録画したまま見てないのですが、ちょっと見る気になりました。

今回のテーマは『私』とは何か、です。
河合隼雄は、日本人の個性を分析する中で仏教に辿り着きました。

 

 

牧牛図


十牛図のほうが一般的な呼び方でしょうか。
1人の若者が牛を見つけ、手なづけていく過程を描いて、禅の修行を表したものです。

私が初めて十牛図を知ったのは、森博嗣の「封印再度」と京極夏彦の「鉄鼠の檻」を読んだ時でした。同時期に読んだので印象に残っていたつもりでしたが、この番組を見るまで詳細を忘れていました・・・


封印再度 WHO INSIDE S&M (講談社文庫)


文庫版 鉄鼠の檻 (講談社文庫)



牧牛図に出てくる若者と牛について、

若者=描き手の自我
牛=真の自己(意識も無意識も含んだ心の中心にあるもの)

を表していると河合は分析しました。


(wikipediaよりパブリックドメインの十牛図画像をお借りしました。十牛図は複数描かれていますが、番組で使われたのと同じものです)

1、自我であるこの若者は、自分が探しているものが何であるか最初はよく分かっていません。

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2、しかし、牛の足跡を見て、自分は牛を探しているのだと気付き、

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3、それを見つけ、

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4、捕らえ、

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5、従え、

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6、ついには牛の背に揺られながら牛の赴くままに導かれていきます。

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ここで、自我と真の自己は一体になります。
この6つ目の図が一つの到達点ということになると河合は言います。
しかし、この先があるんです。

7、なんと、牛が消え、

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8、さらには若者も消えてしまうのです。

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河合はこれを「絶対無」の体験と解釈しました。

9、その後、全てが消えた場所には花が咲き、川のせせらぎが流れます。

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10、そして、消えた若者が老人とともに再登場するのです。

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ここでは、真の自己を「向かい合った」二人に分けて描いているのだと河合は言います。二人の間には、「あなたは誰か」「どこから来たのか」との問いが生まれます。そして、一枚目の絵に繋がり、無限のループを描いているのです。


牛が消えてしまうのはなぜか?


本当に自我と自己とが一体になってしまうと、自己が消えてしまいます。なぜかというと、自己というのは、目標として、対象としている限り見えてくるものだからです。

自己って何だろう、牛だと思って捕まえてみた。けれど、自己と一体になってみると、森羅万象が自己だ、という境地に達したのです。

8になると何も無くなります。「無」になります。
何もないけれど全ての元になるエネルギーなのです。
完全に一体になってすべてが溶け合ってしまいましたが、それがだんだん分節化してきて美しい世界となって現れてきます。

人間も同様に分節して老人と若者の姿になります。
真の自己を知っている人と、まだ知らない人。
その間で「私って何だろう」「真の自己って何だろう」という問いが出てきます。
そうすると、また1にヒューッと飛ばされていくのです。

悟りの境地みたいなところに到達するんだけど、また戻ってくる。
そこでまた出会い、問いが生まれます。無限の循環です。


震災と「無常」


震災の時にも「無」の考えが日本の文化として感じられたと河合俊雄さんは言います。

あの時は「無常」という言葉がすごく言われていました。「無」というのがベースにあると、本当に悲惨なことがあっても極限状況でも耐えていける。つらいことや苦しいことから回復していける。無=無常感みたいなものが根底にあるんだなというのが文化として感じられたそうです。

日本は昔から自然の猛威や病気による大量死が多くありました。そういうものなのだ、仕方がない、と天のせいにして、また宗教に支えられて耐えてきた歴史があります。近代以降は治水や医学の発達により大量死が少なくなりましたが、今回のような災害があると、やはり無常感によって人は支えられていると感じます。

ただし、東電のミスは仕方なくない。震災だけならまだ耐えられたが、原発問題によって日本人の心は怒りで揺さぶられ、心の整理がつきにくくなった、と私は思います。


自性(じしょう)とは


今昔物語より


ある村の人が、「明日、観音様がこの村の温泉に来る」という夢を見ました。すると翌日、夢で見たのと同じ容貌と服装をした武士が現れます。皆が武士を拝むと、武士は「一体どうなっているのか」と驚きます。僧が夢のことを武士に話すと、「自分は狩りで傷を負ったのでこの温泉に来たのだ」と言います。それでも皆がひたすら拝んでいると、武士は「自分はそうすると観音なのだ」と言って出家をして比叡山の僧になりました。


みんなが言うから自分は観音なのだと確信する武士。


西洋では、個性を自らの努力で形成しようとします。
今の自分に無いものや、自分とは対立するものを外から取り入れ、統合して豊かなものにしていくのが西洋的な「個性化」です。

日本の場合は、個性を形成するというよりも、もともと備わっているものを「発見していく」のだと河合は結論づけました。

そう分析するに至ったヒントは「華厳経」にあります。

【華厳経】
大乗仏教経典の一つ。…インドで伝えられてきた様々な経典が、4世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられたものであると推定されている。…上代日本へは、大陸より審祥が華厳宗を伝来し、東大寺で「探玄記」による「六十華厳」の講義を3年間に及び行なった。東大寺は今日まで華厳宗大本山である。
(Wikipediaより)


華厳経は「あらゆるものはつながり合い、そこに個々の区別はない」という教えを説いています。人間を含むあらゆるものに「自性」はないと言うのです。

要するに、「私」の本質や「私」の固有性などないことになります。
でも、現実世界は違いますよね。個々の違いがあります。

人は「自性」を持たなくてもさまざまな要素との関係性によって「私」を成立させているといいます。自分の中の、

・ある要素が有力に
・他の要素が無力に

なることで個性が生まれるのです。


非個人的な関係


禅僧の物語


2人の僧が旅に出て川に行き当たりました。船も橋もないので川へ入らなければなりません。美しい女性が向こう岸に渡れず困っていました。すると1人の僧がすぐに彼女を抱いて川を渡りました。しばらくして、もう1人の僧が口を開きました。「お前は僧としてあの若い女性を抱いてよかったのか、と俺は考え続けてきた。あの女性が助けを必要としていたのは明らかにしてもだ」もう1人の僧は答えました。「確かに俺はあの女を抱いて川を渡った。そして川を渡った後で彼女をそこに置いてきた。しかしお前はまだあの女を抱いているのか」と。


必要な時には全身全霊で向き合い、そのあとは一切執着しない。こうした関係を非個人的関係と呼び、河合はクライアントに対する姿勢の理想としました。

一生懸命その人のためにやるということは、どうしても個人的関係になりやすいです。例えば、先生と生徒の関係で熱血的に指導しようとすると、あまり良くない関係になることがあります。

河合先生も、大変なクライアントに会っているとふらふらになったそうです。それは、やはり個人的なレベルでなんとかしていたからで、非個人的な関係で接すると楽になったそうです。

この僧の姿から河合隼雄は風を連想し、ある作者不明の詩で表現しました。それが「1000の風」です。その後「千の風になって」という新たな訳が出て有名になりました。

風と言うのは触れることができるけれども執着することはありません。だから、河合隼雄自身も「風でありたい」と思ったのではないでしょうか。

 

感想


私は人の気持ちが分かりません。なので分かるためにしつこく聞いたりずっと考えたりします。普通の人に追いつきたいからです。執着といえるかもしれません。いかんな。

個人的な関係と非個人的な関係をどちらも適切に操れるようになりたいです。

華厳経の「ある要素が有力、他のある要素が無力になることによって個性が生まれる」という考え方は、つい人と比べがちな私にとっては楽になるものかも。みんな元が同じなら、羨みも劣等感もなくなるかもしれない。

「なぜぼくは存在するのか」をこどもの頃からずっと考えていた永井均さんの本を思い出しました。こちらは哲学の入門書です。

<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス

昔話から日本の構造を読み解く(180716 NHK「100分で名著」河合隼雄スペシャル3 の感想)

河合隼雄は、スイスでユング心理学を学び、日本で心理療法を始めました。
しかし、欧米の合理的な心理学が日本人の心の問題に応用できないことに気付きます。
そこで先生が注目したのが、日本の昔話や神話です。
古くから伝わる物語の中に、心の構造が映し出されていると考えたのです。

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「うぐいすの里」から分かる「日本人の人格の統合」

昔、ある山のふもとに1人の若い木こりが住んでいました。
ある日山に行くと、森の中に今まで見かけたこともない立派な館がありました。
木こりが玄関まで行くと、美しい女が出てきました。

女は木こりを信頼し、留守を頼んで外出しようとします。
その時、このつぎの座敷を覗いてくれるな、と言い残します。

しかし、木こりは禁を破って座敷へ入ります。
美しい調度が設えられた座敷は、花の香りに満ちていました。
木こりはそこで3つの卵を見つけ、手に取ると誤って割ってしまいます。

帰ってきた女性は、さめざめと泣きながら男に告げます。

「人間ほどあてにならぬものはない。あなたは私との約束を破ってしまいました。
あなたは私の3人の娘を殺してしまいました。娘が恋しい。ほほほけきょ」
と言って鳴いて、その女は一羽のうぐいすになって飛んでいきました。

そして気がついて見ると立派な館はなく、木こりはただのかやの野原にぼんやり立っていました。


河合隼雄は西洋の似たような物語と比較することで、日本人の心の構造を分析します。
フランスの「青ひげ」という物語です。


青いひげを持つ男と結婚した女性が、「見るな」と言われた部屋を覗きます。
するとそこにはたくさんの死体があったのです。死体は青ひげの先妻たちでした。
女性も青ひげに殺されかけますが、兄に助けられ、その後別の男と結婚してハッピーエンドを迎えます。


まずは、結末が全然違うというところに注目してみます。

ユング心理学の中で、結婚というのは「人格の統合」を示すイメージとしてとても大事にされています。しかし、それをそのまま当てはめると、日本の物語では人格を統合せず完成に至らないということになっていまいます。

しかし、何も起こらなかったとはつまり、英語の表現
Nothing has happended
をそのまま借りて、「無」が生じたのだ、と言い換えられないでしょうか。

本来「無」は否定も肯定も超えた存在です。
それは、日常・非日常、男・女などの区別を超えて、一切をその中に包含してしまう円へ変貌します。
それは「無」であって「有」であると言えます。

木こりは村と森の間にいる人。
村=意識、森=無意識の世界と考えられます。
この物語は、その中間で出会って別れてしまい、統合というのは起こりません。
ではどうやって完結するのか。

女性が消え去る際の「あわれ」という感情によって物語は完成しています。

「あわれ」とは、完結に至る寸前における、プロセスの突然の停止によって引き起こされる美的感情です。悲しく立ち去ってゆくうぐいすの姿によって、我々の美意識は完成されるのです。

出会うんだけど、戻っていく。
その循環することこそ豊かなものなんだ、という考え方です。

「炭焼長者」から分かる「日本人の自我」

西洋の物語は男性が非常にアクティブで、心理学的には男が「自我」と言えます。
河合隼雄は日本の物語をひもとくうちに、女性の目で見ていくと日本人の「自我」が分かりやすいのではないか、と考えました。


「炭焼長者」

あるところに長者の娘がいました。
娘は、父親のすすめる別の長者の息子と結婚し、尽くしていました。

しかし、ある時妻が夫に麦の飯を差し出すと、
「米は食べるが、麦など食えぬ」と夫が茶碗を蹴飛ばしました。
女は「私はとてもここで暮らしをすることはできません」
と言って、長者の妻という身分を捨て、家を出ていきます。

門を出ると女は、その家の倉の神様が、
「ここにいては自分たちも蹴飛ばされる。炭焼き五郎は心の美しい働き者だ。あそこに行こうではないか」と話しているのを聞きます。

これは良い話を聞いた、と女は炭焼き五郎の小屋を訪ねました。
優しくされた彼女は「嫁にもらってくだされ」と自らプロポーズしました。
こうして夫婦になった二人が炭かまどの中を見ると、どのかまどにも黄金が入っているのです。
二人はたちまち長者となりました。

反対にだんだん貧乏になっていった前の夫は、偶然炭焼き五郎の家にやってきます。
その妻が自分の妻だったことに気付くと、自分を恥じて舌をかみ切って死んでしまいました。


彼女は、最初は父親の言うままに結婚してすごく受動的なのですが、自分の意志で離婚し、自らの足で夫となるべき人のもとを訪ね、プロポーズし、承諾させます。

この「受動性から能動性」への転換を、河合隼雄は「意志する女性」と定義しました。

日本人の自我というのは、受動的なところから生まれることが多いのではないかと考えられます。最初から主張せず、じっと耐えて、そして立ち上がるのです。

倉の神様というのは、無意識からの知恵と言えます。
女性の決意の背後に倉の神様のような次元の違う知恵があるというのが大事なところです。

また、この話には続きがあります。
死んだ前の夫にお供え物をして弔ってあげるのです。
一旦離婚したものを完全に切り捨てない。矛盾するものを置いておく
そのような広さも、日本人的と言えます。

 

「古事記」から分かる「日本の構造」

古事記にはさまざまな神様が登場します。
しかし、その中に特に何の力も働きも持たない「無為の神」がいるのです。


無為の神①
日本という国土を生み出したイザナミとイザナキは、アマテラス、ツクヨミ、スサノヲというの三人の神を生みます。
アマテラスとスサノヲは高天原をめぐって対決し、アマテラスが天の岩戸に隠れてしまうなどのエピソードがあります。しかし、古事記にはツクヨミの話題がほとんどありません。

無為の神②
また、天地が始まった時の三神、タカミムスヒ、カミムスヒ、アメノミナカヌシの中で、アメノミナカヌシについては何も語られていません。

無為の神③
さらに、海幸彦、山幸彦でおなじみにホデリとホヲリの兄弟、ホスセリも、ほとんど登場しません。


三組のトリオの中心に、名ばかりで実態がない神=無為の神がいるのです。

日本神話は、中心に「空」が存在しているからこそ、相対立する二つのものが深刻な対立を回避するという構造になっています。これを「中空構造」といいます。

中空構造は、日本人の心や日本社会の特徴を表しているのではないでしょうか。

真逆となるのが一神教の世界です。
一神教の世界は、中心にある力や原理に従って統合されています。善悪が分かりやすく対立しています。

日本の場合は、全体の均衡がうまくとれることを重視します。そこにあるのは論理的整合性ではなく、美的な調和感覚なのです。

中空均衡構造の場合は、新しいものに対して、まず「受け入れる」ことから始めます。
まず受け入れたものは、もちろんそれまでの内容とは異質であるので、当初はギクシャクしますが、時間の経過と共に、全体的調和の中に組み込まれます。

日本古来に神道のようなものがあって、そこに仏教が入ってくるのですが、多少のもめごとのようなものはあっても、いつの間にか仏教と神道が混ざって受け入れられていきました。

その後キリスト教も入ってきましたが、何か新しく入ってきたものが完全に支配してしまうということがありません。

日本の構造には悪いところもあります。

境界があいまいだったり、新しいものが入ってきたときにちゃんと反発できなかったり。主張しないといけないところで、中心がないものだから主張できなかったり。

社会の構造として、いいところも悪いところも両方あるのです。

老いていく自分がいやになる(180712 世界の哲学者に人生相談 第12回 の感想)

高田純次が司会で、ゲストが萬田久子、カンニング竹山、益若つばさという絶妙な塩梅です。私は哲学が苦手なのですが、この番組はユルいので気軽に見ることができます。

 

44歳女性からの相談


「老いることが嫌でたまりません。若い頃は女性として見られていました。今は中年女として見られ、恋やときめきがなくなりました。体力もなくなり顔も老け、鏡を見るのが恐ろしいです。どうしたら老いが恐くなくなりますか?」

私の自分語り

私は、老いるのは悪いことだと思っていません。フランス人男性は、奥様にしわが増えると素敵だと喜んでくれるらしいじゃないですか。年を重ねるにつれ、知識と経験により性格が磨かれ、昨日より今日のほうが良い自分だと実感しています。

でも、本音を言うと、鏡を見るたびに自分が嫌になるのは否めません。会社勤めしていた頃は毎日化粧していたのでまだマシでしたが、無職の今は常にすっぴんで髪もはねっぱなし、着飾ることもありません。それが肌にもよく洗濯も楽で合理的だという自分で納得した判断ではあるのですが、こんなのが妻でかわいそう、とも思います。

ユングさんの解答


ユング心理学入門―“心理療法”コレクション〈1〉 (岩波現代文庫)



ユングは人生を時間に例えました。

午前は少年~青年。
午後は中年~老人。

そして、午前と午後の間、40歳前後の時期を「危機の時期」と設定したのです。

「午前の法則を人生の午後に引きずりこむ人は、心の損害という代価を支払わなければならない」

体が成長し、仲間や財産も増えていく午前から、気力や体力が下り坂になり社会的なピークも過ぎていく午後の時期。

高田さん:若い頃と同じ薬では風邪が治りにくくなった。
萬田さん:ゴーグルの跡が残るので仕事前に泳げない。

体の変化には皆さん気付きますが、心にも同じように変化が起こっているのです。

40歳ぐらいまでの人生観を午後に持ち込むと無理が生じます。
果たして本当にこのやり方でよかったのだろうか、と考え直す必要があります。

「午前から午後へ移行するとは、以前の価値の値踏みのし直しである」

午前の目的とは、仕事をして、社会的地位を得て、あるいは子育てをして、ということ。それに対して午後の目的は、自分自身の内面を見つめることだというのです。


萬田さん:私はミスユニバースだったので当然美貌で売っていた。売っていたわけじゃないけどそういう目で見られるので、なんか乗っかっちゃってた。でもそれが効かなくなったというのは気付く時がありますよね、鏡を見て。どんどん若くて美しい人がでてくる。そしたら、その人と戦うわけじゃないですけど、そういう人はそれでもう素敵な人だと思い、自分は年相応の美しさとかは頑張ろうって思ってます。

ゲストの皆さんの解答

その年の色気もあるし、その年の綺麗さとか、そういうことも特に女性にはあります。だから、やっと自分もそこになれたという考えで生きるほうがいいんじゃないですか。

自分だけが年とるんじゃないですし。
一緒に何か楽しんで老いるというのもおかしいですけど、みんなで一緒に楽しみましょう。

そりゃシワとかシミとかしょうがないですよ。いろいろ努力しても。そりゃ赤ちゃんの肌にはならない。写真見ても昔と全然違いますもんね。でも、よく頑張ったな、と。

萬田さんみたいなかっこよくてきれいな女性が年上にいらっしゃると、希望が持てるんです。目標みたいなことかな。あっ、こんなふうに生きていいんだなとか思うと、年齢を重ねることがすごく楽しくなってくるなって思います。

私の感想

私は今、自分と向き合う毎日でとても苦しいです。
アスペならではの短所を矯正し続ける人生、得意なことを伸ばせない人生は、本当にQOLが低かったです。努力のおかげで社会に紛れ込むことはできましたが、限界を感じています。自分を変える人生では、生まれてきた意味が分かりません。どうしたらこんな自分でも存在していていいんだと思えるのか、これからの生き方を考えています。

でも、こうやって私が今悩んでいるのは、ユングさんからすると至極まっとうな行動のようでした。よかったよかった。

悩んだり体調を崩すたびに顔がガクッと老けていきます。
それと、精神薬ではないのですが、太る薬をあと10年以上飲み続けなければいけないのがつらいです。食事制限しているのにじわじわ増えていきます。

でも、見た目はまあ仕方のないことだから、これからさらに崩れても卑屈にならないように気を付けたいと思います。

あと、ウォーキングの時に着ているウェアを、買い物の時にも着るようになっているのを直そうと思います。美的感覚を磨くことから遠ざかりかけてました。危ない。

それと、自分の目標とする人物を設定しておくというのもやってみようと思います。

竹山さんからの相談

「日々イライラしてるんですよ。
飲みに行ったとき、店員さんの料理の出し方が悪いとか。

初めは我慢してますよ。ずっと見てるうちに、いやいや、お前がこうやってこうやればもっと回るぜ、って思ったりする。ずっと我慢してるんだけど、何度も見てるうちに、

「お兄ちゃん、バイト?さっきからあれだったけど、先に向こう行ってこうやればさ、いいじゃん。そうしたら上手くいくじゃん。お前も楽だしさ。さっき怒られてたろう?怒られずにすむぞ、お前」

っていうのを、言わなくてもいいのに言っちゃうんですよね。

言ってるときはその子のために言ってるつもりなんだけど、じゃあその子のためっていう俺の驕りは何なんだよ、って反省したりするんですよ。自分のイライラで。」


アランさんの解答



アランの幸福論



「もし咳が出ても、その悲劇を最初の段階だけにとどめておけたら、トローチはいらないだろう」


咳の出し方の問題です。
怒りに任せて「ゴホン、ゴホン」って咳してやろうと思うと、さっきの竹山さんみたいになっちゃう。

ガス抜きをしておけば、そんなにひどくならない。
じゃあ、どうガス抜きをすればいいんだろう。

三木清さんの解答



人生論ノート 他二篇 (角川ソフィア文庫)



「怒りを避ける最上の手段は、機知である」


機知というのはウィットのことですね。

怒りをそのままぶつけるのではなく、ちょっとした笑いを含ませれば、お互い嫌な気持ちにならないのです。

結局、怒りがあるときって、人間の優越性を示そうとしているんですよ。自分は分かってる、お前は分かってない、と。

だから、それをそのまま出してしまうと攻撃的になるので、ちょっと転換して機知の効いた言い方にしましょう。

益若さん:
頼んだものが出てこないとき、「今、山まであれ取りに行ってるんだよね」とか家族で言ってました。

竹山さんと高田さんのコント:
唐揚げを頼んだのにホッケが届いたとき、「最近、鶏、変わりましたね」。

竹山さん:これ(コント)なら2時間いけるよ。

私の感想

知人に素敵な女性がいます。
いつも元気で明るくて、お喋りも上手くて、誰からも好かれる、人を見抜く目があって、すごく頭の良い方です。

その方が、たまに皮肉を言うんです。
笑顔でにこやかに仰るので、アスペの私としては気付きにくいです。
でも、なんだかストレートじゃないな、ネガティブな裏の意味がありそうだな、というのは感じることがあります。
こんなにいい人なのに、なんでバレないように悪口言うのかな、と嫌な気持ちになることがあります。

でもこれは、彼女なりの機知だったんですね。
彼女なりというか、頭の良い人なりの。

私が皮肉が理解できないってことは、まあ今は置いといてください。

「神は乗り越えられる試練しか与えない」と言いますが、彼女は私が見てきた中では一番と言えるほど多くの苦難を抱えている人です。
それでもいつも元気でハツラツとしているのは、たぶん咳を最初の段階で治しているからなんだと思います。もちろん長く苦しむこともあるとは思いますが。

ストレスがまだ小さい段階で体の外に出してしまう。だからたくさんの困難を次から次へとこなしていける。たくさんのストレスに立ち向かってきたからこそ身についた武器なのかもしれません。

仕事のできる人ってみなさんそうですよね。私だったら心がどす黒くなりそうな場面でも、そういう人はサラッとかわすというか。

彼女は、もしかしたら私とウィットに富んだ会話を楽しみたかったのかもしれません。
理解できなくてすみません・・・

私は自分の怒りの感情にフタをして見なかった振りをしがち(なのでずっと消化できない)なのですが、たまにここでいう「機知」を発揮できることがあります。

無理な車線変更をしてくる車がいたときとか、駐車場を横取りする車がいたときとか、「あの人はお腹がゴロゴロしてるから急いでるんだねー」と思うようにしています。

たぶん、「人間vs人間」ではなく「車vs車」で、しかも私は助手席なので、客観的に見ることができているのではないかと思います。「人間vs人間」だと、処理しきれずフタをして心を殺してしまうか、全面的に自分が悪いと自分を責めてしまうので。

これをとっかかりにして、いつか「人間vs人間」の時でも機知で怒りを回避できるようになれればよいのですが。

夢診断(180707 NHK「100分で名著」河合隼雄スペシャル2 の感想)

河合隼雄さんの本に影響を受けて、夢診断ノートをつけていたことがあります。

朝起きてすぐ、夢を忘れないうちに、ノートに夢で見たことを書くのです。

夢は無意識からのメッセージ。自分の心の問題をあぶりだせる。
夢を分析していくうちに、自分の思った通りの夢を見ることができる。

そう期待していたのですが、上手くはいきませんでした。
分析して出てきた結果は性的欲求を意味するものばかり。
参考にした夢占い辞典が悪かったのだと思いたい・・・

ただ、ノートに書いた夢は記憶から消えることはありませんでした。
書かない夢はすぐに忘れてしまうのに。
夢を覚えていることに価値はないと思うのですが、アウトプットは大事だなと思いました。

第一回の感想はこちら↓


 

 

夢とは

夢は、無意識の中の「イメージ」を表現しています。
河合隼雄先生は、夢分析や箱庭療法により、イメージを手掛かりに患者の悩みを解決に導こうとしました。

ユングは人間の心について3つの層があるとしています。

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・自我を中心とする「意識」
・個人的な経験から成り立つ「個人的無意識」
・全人類に普遍的に存在する「普遍的無意識」

普遍的無意識というのは、全人類に共通するイメージのことです。そのイメージの一つ一つのモチーフを、ユングは「元型」と呼びました。

まずは元型の例を挙げます。

グレートマザー
地母神や母なるもの。実際の母親のことではない。全てを温かく優しく包み込む太母。逆に、全てを飲み込む、束縛するなど恐ろしい面も持っている。


影とは自分を映し出したもの。自我が受け入れたくない自身の嫌な面や、受け入れたくない現実の表れ。

アニマ・アニムス
自分の中に持つ異性像。男性の中にある女性像「アニマ」。女性の中にある男性像「アニムス」。人は反対の異性像を持っていなければバランスをとれない。

ペルソナ
外の世界に対して見せる顔。仮面。



夢診断の例

 

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ある不登校の中二男子が見た夢です。
肉のうずにただ飲み込まれていく恐ろしい夢。

このような夢は情報の整理などではなく、普遍的無意識から浮かび上がってきたものです。セラピストは次のように夢を紐解きます。



深淵

子宮

豊穣・死の国

グレートマザー

少年の父親は精神病でした。その事を知られたくないからと少年は不登校になりました。しかし、この夢を見た後、彼は「家で甘やかされるのが嫌だ」と言って学校に通い始めました。

家庭での父の役割が弱い。その背後にある肉の渦。何物をも飲み込むグレートマザーから解放されるため、彼は学校に通うようになりました。

生暖かい、ある種ポジティブな家の中を、彼は「甘やかされるのは嫌だ」と振り払おうとしています。つまり、ネガティブなものとして見ようとしているわけです。この夢を受けて、彼は恐らくグレートマザー的なものから距離を取っていけるようになったのではないかと考えられます。


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ある20代の女性の見た夢です。
この女性は感情表現が極端に乏しく、合理的に思考するタイプの人でした。

「幽霊協会」というところから電話がくる。私が「幽霊なんて全然信じない」と言うと、「あなたは幽霊新聞の最新号をお読みになりましたか?まあともかく、あなたは尖った硬い鉛筆さえあればいいのでしょう」と言ってきた。私は腹を立てて「幽霊なんか信じないし、尖った硬い鉛筆など大嫌いだ」と言い電話を切った。

電話をかけてきた幽霊協会は、彼女の自我に接触を図ろうとする無意識であり、抑圧されてきた感情の部分です。直接会いに来たのではなく電話、しかも声がつぶやくように小さいことから、自我と無意識内にある感情的な部分との接触に困難があることが伺えます。

河合先生は、「尖った硬い鉛筆」を「知性の鋭さ」というこの女性の武器を表すイメージだと分析しました。そして、「尖った固い鉛筆など大嫌いだ」と八つ当たりをし電話を切ってしまうことから、感情的な表現をしたいという思いが彼女の無意識にあることが分かりました。
合理的な思考を持つ彼女にとっての「影」は感情的になることだったのです。


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ある男性の夢です。
海に行きたくなかったが付き合いで行ったら、裸の少女が溺れていた。人工呼吸をしたら少女の息が戻ってほっとした。少女の体を温めるために、家に帰って少女に着せる服を探した。しかしたくさんある服は全て小さすぎて少女には入らない。服を探しながら目が覚めた。

海は彼の無意識です。瀕死の少女は彼の「アニマ」。意識との接触を断たれ、無意識の海で溺れかけていたアニマを彼は助けます。
彼の持っていた服はペルソナだと河合先生は判断しました。そして、ペルソナが小さすぎて彼にはアニマを包むことができないと分析したのです。

男は男らしく、女は女らしくという価値観の中で、彼は自分の中の女性性が消えかけていた。彼は長い診察を通じてアニマを獲得するための努力を続け、ペルソナを確立するために相当な困難と闘い続けました。

※ 現在は「男は男らしく、女は女らしく」という価値観が昔ほどは強くありません。アニマ、アニムス像が緩和されてきたり、また新しい理論が出てきそうです。


夢は心からの危険信号

どうしてアニマやアニムスなどの元型が出てきてしまうのでしょうか。

元型が出てくるときというのは、急に鬱になったり上手くいかなくなったり、破綻が起きた時です。心からの危険信号のようなものです。

残念ながら人間というのは、計画して変わるということができません。今までのものが破綻するから次を作っていけるというところがあります。

大抵の人ができないのですが、中にはできる人もいます。

大学で国体に出るようなスポーツマンの男性がいました。しかもキャプテンなのでいわゆる旧時代的な男性像があるのですが、彼にはすごく女性的な面がありました。最終的に、大事な試合に行くときには、ボーイッシュな女の子のようなファッションをすることで、バランスをとるようになりました。それが一番、周りから見られるペルソナも守りながら、自分の中のバランスをとって大事な試合に行くための、彼の出した答えだったのです。



セラピスト側に枠組みがあることが大事

肉の渦の夢を聞いて、「うわー、気持ち悪い」「この子大丈夫かしら」と思ってしまうと、夢からのメッセージをキャッチすることはできません。

どうやらこれの正体はグレートマザーで・・・それに対する居心地の悪さはどうやらあるイメージで・・・じゃあ今度実生活で起こっていることと照らし合わせていくと・・・なるほどこうだ、みたいにちょっとずつ分かっていく。

セラピスト側が元型の知識を持ち、夢に当てはめ、理解し、それができて初めて患者の苦痛を解くことができるのです。

我々の人間関係においても、知識とアンテナは大事です。

例えば子供が「この服買ってほしい」と言ってきたとき、「またもう、お金をせびって」ではなく、「この子、これまでいつも親が買い与えた服を着てきたのに、自分でこの服買ってほしいと言うとは、どういうことなんだろう」とか。

いつもたくさん写真を撮っている人が、なんか今日はさみしそうな写真ばかり撮ってるな、どうしたんだろう、とか。

お茶やお花にも、その時の自分の心の中の動きが出てきます。

読み取れさえすれば、すごいヒントを出してくれるということは多そうです。