高田純次が司会で、ゲストが萬田久子、カンニング竹山、益若つばさという絶妙な塩梅です。私は哲学が苦手なのですが、この番組はユルいので気軽に見ることができます。
44歳女性からの相談
「老いることが嫌でたまりません。若い頃は女性として見られていました。今は中年女として見られ、恋やときめきがなくなりました。体力もなくなり顔も老け、鏡を見るのが恐ろしいです。どうしたら老いが恐くなくなりますか?」
私の自分語り
私は、老いるのは悪いことだと思っていません。フランス人男性は、奥様にしわが増えると素敵だと喜んでくれるらしいじゃないですか。年を重ねるにつれ、知識と経験により性格が磨かれ、昨日より今日のほうが良い自分だと実感しています。
でも、本音を言うと、鏡を見るたびに自分が嫌になるのは否めません。会社勤めしていた頃は毎日化粧していたのでまだマシでしたが、無職の今は常にすっぴんで髪もはねっぱなし、着飾ることもありません。それが肌にもよく洗濯も楽で合理的だという自分で納得した判断ではあるのですが、こんなのが妻でかわいそう、とも思います。
ユングさんの解答
ユング心理学入門―“心理療法”コレクション〈1〉 (岩波現代文庫)
ユングは人生を時間に例えました。
午前は少年~青年。
午後は中年~老人。
そして、午前と午後の間、40歳前後の時期を「危機の時期」と設定したのです。
「午前の法則を人生の午後に引きずりこむ人は、心の損害という代価を支払わなければならない」
体が成長し、仲間や財産も増えていく午前から、気力や体力が下り坂になり社会的なピークも過ぎていく午後の時期。
高田さん:若い頃と同じ薬では風邪が治りにくくなった。
萬田さん:ゴーグルの跡が残るので仕事前に泳げない。
体の変化には皆さん気付きますが、心にも同じように変化が起こっているのです。
40歳ぐらいまでの人生観を午後に持ち込むと無理が生じます。
果たして本当にこのやり方でよかったのだろうか、と考え直す必要があります。
「午前から午後へ移行するとは、以前の価値の値踏みのし直しである」
午前の目的とは、仕事をして、社会的地位を得て、あるいは子育てをして、ということ。それに対して午後の目的は、自分自身の内面を見つめることだというのです。
萬田さん:私はミスユニバースだったので当然美貌で売っていた。売っていたわけじゃないけどそういう目で見られるので、なんか乗っかっちゃってた。でもそれが効かなくなったというのは気付く時がありますよね、鏡を見て。どんどん若くて美しい人がでてくる。そしたら、その人と戦うわけじゃないですけど、そういう人はそれでもう素敵な人だと思い、自分は年相応の美しさとかは頑張ろうって思ってます。
ゲストの皆さんの解答
その年の色気もあるし、その年の綺麗さとか、そういうことも特に女性にはあります。だから、やっと自分もそこになれたという考えで生きるほうがいいんじゃないですか。
自分だけが年とるんじゃないですし。
一緒に何か楽しんで老いるというのもおかしいですけど、みんなで一緒に楽しみましょう。
そりゃシワとかシミとかしょうがないですよ。いろいろ努力しても。そりゃ赤ちゃんの肌にはならない。写真見ても昔と全然違いますもんね。でも、よく頑張ったな、と。
萬田さんみたいなかっこよくてきれいな女性が年上にいらっしゃると、希望が持てるんです。目標みたいなことかな。あっ、こんなふうに生きていいんだなとか思うと、年齢を重ねることがすごく楽しくなってくるなって思います。
私の感想
私は今、自分と向き合う毎日でとても苦しいです。
アスペならではの短所を矯正し続ける人生、得意なことを伸ばせない人生は、本当にQOLが低かったです。努力のおかげで社会に紛れ込むことはできましたが、限界を感じています。自分を変える人生では、生まれてきた意味が分かりません。どうしたらこんな自分でも存在していていいんだと思えるのか、これからの生き方を考えています。
でも、こうやって私が今悩んでいるのは、ユングさんからすると至極まっとうな行動のようでした。よかったよかった。
悩んだり体調を崩すたびに顔がガクッと老けていきます。
それと、精神薬ではないのですが、太る薬をあと10年以上飲み続けなければいけないのがつらいです。食事制限しているのにじわじわ増えていきます。
でも、見た目はまあ仕方のないことだから、これからさらに崩れても卑屈にならないように気を付けたいと思います。
あと、ウォーキングの時に着ているウェアを、買い物の時にも着るようになっているのを直そうと思います。美的感覚を磨くことから遠ざかりかけてました。危ない。
それと、自分の目標とする人物を設定しておくというのもやってみようと思います。
竹山さんからの相談
「日々イライラしてるんですよ。
飲みに行ったとき、店員さんの料理の出し方が悪いとか。
初めは我慢してますよ。ずっと見てるうちに、いやいや、お前がこうやってこうやればもっと回るぜ、って思ったりする。ずっと我慢してるんだけど、何度も見てるうちに、
「お兄ちゃん、バイト?さっきからあれだったけど、先に向こう行ってこうやればさ、いいじゃん。そうしたら上手くいくじゃん。お前も楽だしさ。さっき怒られてたろう?怒られずにすむぞ、お前」
っていうのを、言わなくてもいいのに言っちゃうんですよね。
言ってるときはその子のために言ってるつもりなんだけど、じゃあその子のためっていう俺の驕りは何なんだよ、って反省したりするんですよ。自分のイライラで。」
アランさんの解答
アランの幸福論
「もし咳が出ても、その悲劇を最初の段階だけにとどめておけたら、トローチはいらないだろう」
咳の出し方の問題です。
怒りに任せて「ゴホン、ゴホン」って咳してやろうと思うと、さっきの竹山さんみたいになっちゃう。
ガス抜きをしておけば、そんなにひどくならない。
じゃあ、どうガス抜きをすればいいんだろう。
三木清さんの解答
人生論ノート 他二篇 (角川ソフィア文庫)
「怒りを避ける最上の手段は、機知である」
機知というのはウィットのことですね。
怒りをそのままぶつけるのではなく、ちょっとした笑いを含ませれば、お互い嫌な気持ちにならないのです。
結局、怒りがあるときって、人間の優越性を示そうとしているんですよ。自分は分かってる、お前は分かってない、と。
だから、それをそのまま出してしまうと攻撃的になるので、ちょっと転換して機知の効いた言い方にしましょう。
益若さん:
頼んだものが出てこないとき、「今、山まであれ取りに行ってるんだよね」とか家族で言ってました。
竹山さんと高田さんのコント:
唐揚げを頼んだのにホッケが届いたとき、「最近、鶏、変わりましたね」。
竹山さん:これ(コント)なら2時間いけるよ。
私の感想
知人に素敵な女性がいます。
いつも元気で明るくて、お喋りも上手くて、誰からも好かれる、人を見抜く目があって、すごく頭の良い方です。
その方が、たまに皮肉を言うんです。
笑顔でにこやかに仰るので、アスペの私としては気付きにくいです。
でも、なんだかストレートじゃないな、ネガティブな裏の意味がありそうだな、というのは感じることがあります。
こんなにいい人なのに、なんでバレないように悪口言うのかな、と嫌な気持ちになることがあります。
でもこれは、彼女なりの機知だったんですね。
彼女なりというか、頭の良い人なりの。
私が皮肉が理解できないってことは、まあ今は置いといてください。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」と言いますが、彼女は私が見てきた中では一番と言えるほど多くの苦難を抱えている人です。
それでもいつも元気でハツラツとしているのは、たぶん咳を最初の段階で治しているからなんだと思います。もちろん長く苦しむこともあるとは思いますが。
ストレスがまだ小さい段階で体の外に出してしまう。だからたくさんの困難を次から次へとこなしていける。たくさんのストレスに立ち向かってきたからこそ身についた武器なのかもしれません。
仕事のできる人ってみなさんそうですよね。私だったら心がどす黒くなりそうな場面でも、そういう人はサラッとかわすというか。
彼女は、もしかしたら私とウィットに富んだ会話を楽しみたかったのかもしれません。
理解できなくてすみません・・・
私は自分の怒りの感情にフタをして見なかった振りをしがち(なのでずっと消化できない)なのですが、たまにここでいう「機知」を発揮できることがあります。
無理な車線変更をしてくる車がいたときとか、駐車場を横取りする車がいたときとか、「あの人はお腹がゴロゴロしてるから急いでるんだねー」と思うようにしています。
たぶん、「人間vs人間」ではなく「車vs車」で、しかも私は助手席なので、客観的に見ることができているのではないかと思います。「人間vs人間」だと、処理しきれずフタをして心を殺してしまうか、全面的に自分が悪いと自分を責めてしまうので。
これをとっかかりにして、いつか「人間vs人間」の時でも機知で怒りを回避できるようになれればよいのですが。