コンプレックスの意味を知り克服する(180702 NHK「100分で名著」河合隼雄スペシャル1 の感想)

河合隼雄先生は、ユング心理学の日本の第一人者です。

数学教師をしていた頃、生徒の悩み相談に乗るうちに心理学の必要性を感じ、教師を続けながら京都大学大学院で臨床心理学を学びました。

31歳でアメリカに留学し、その後スイスのユング研究所に進み、帰国後も研究を続け、著書はおよそ200冊。



私が初めて河合先生の本を読んだのは大学の時です。

一般教養で心理学を受講しました。
心理学って面白いなと思い、書店に行き、最初に手に取ったのが河合隼雄先生の著書でした。

たぶんどなたの本から始めても良かったのだと思いますが、聞きなじみのある「ユング」の名に惹かれて選びました。

2007年に訃報を聞いた時は、心の中の柱が1本倒れたような気分になりました。
私の読んできた本は一般人向けの易しい本であり、決して師匠などと呼ぶことを許されるような熱心な読者ではなかったのですが、それでも師がいなくなったような気持ちでした。

実は、先日記事をパクられたことと、豪雨災害とその後の暑さで、ちょっとやる気を失っていたのですが、録画していたこの番組を見てショックを受けました。
ユング心理学を忘れてる・・・

影ってなんだっけ?
ゲド戦記を見た時に一瞬思い出したような気がするのですが、またすぐ忘れて今に至っているようです。やばいです。



心理療法家はどうやって治すのか


「あの人はなぜ死んでしまったのか」
婚約者を突然の交通事故で無くした女性が医者に聞きました。

医者はこう答えます。
「頭部外傷による出血多量で亡くなりました」

確かに科学的には正しい答えです。
しかし、これでは悲嘆に暮れる女性を満足させることはできません。

HOW(いかに)
WHY(なぜ)

医師の答えは「HOW(いかに死んだのか)」でした。
女性は「WHY(なぜ死んだのか)」を求めているのです。
この返答では満足しません。

こういった問いに対し、心理療法家は「WHY(なぜ)」の解決を目的とします。

しかし、問いの答えを直接教えてくれるのではありません。

「解答」を与えるのではなく、「解決」へと至る道を一緒に探り、心のバランスを導くことが心理療法士の仕事なのです。

そのためには、相手を客観的に観察するのではなく、主体的に関わりその人の心に起きている現象を共に経験することが必要なのです。



番組中、伊集院光さんがある告白をしてくださいました。

「僕はなぜ太ってしまうのか?」という話をしていると、当然、「カロリーを摂りすぎるから」と言われるんですよね。これは間違った答えではないけれど、「では、なぜ僕はカロリーを摂りすぎるの?」という答えの出ない質問の連鎖になってしまいます。

ある時気付きました。兄が体が弱くて少食だった。そのため、僕がたくさん食べると母が褒めてくれたんです。どうやらこの事が関係しているらしいと。これは数学的なカロリーの「HOW」の方では絶対に出てこない答えでした。



※フィギュアスケート選手のデニス・テンさんが先日亡くなられましたが、その時のフィギュア仲間のお言葉が、「なぜ」「どうして」の連続でしたね・・・胸が痛くなります。


コンプレックスとは


コンプレックスはよく「劣等感」と同じ意味で使われますが、ユングの言うコンプレックスは少し違います。

コンプレックスの直訳は「複合体」。

心理学的には、無意識内に存在して、なんらかの感情によって結ばれている心的内容の集まり

なんだかよく分かりませんね。

まずは「無意識」とは何なのか。

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無意識とは図の通り、意識上に出てこない、本人にも分かっていない心の部分です。
コンプレックスはこの中にいます。

人間には一貫した自我がありますが、無意識のコンプレックスにより自我がおびやかされ、崩れてしまうことがあります。その最たるものが二重人格です。

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なんでか分からないけど、この音を聞くと怖くて心細い気持ちになる。
なんでか分からないけど、この人を見てるとイライラする。

なんらかの「ひっかかり」に対し、自我ではなくコンプレックスが反応している(乗っ取られている)のです。

防衛・投影

コンプレックスに対し、人間は防衛を試みます。

自分の内部にあるコンプレックスを認知することを避け、それを外部の何かに投影し、外的なものとして認知するのです。

投影とは、自分のコンプレックスを他人に押し付けて自我の安全を図ることです。

「あいつは権力欲が強いやつだ」と言っている人ほど、実は自分が権力欲が強かったりします。
自分の内部にある権力欲を認めようとせず、他人に投影し、あいつは権力欲が強いと非難することで、自分はあんな人間ではないと安心感を得るのです。

「人間はみなズルイものですよ」と主張する人が非常にズルイ人であったり、
「人間というものは結局薄情なものです」と嘆く人自身、親切な人とは言えないような場合も非常に多くあります。この場合は、個人ではなく人間全体への投影です。

「人間はみな」と言っておいて、その中に自分は入っていなかったりします。

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投影の引き戻し

投影の結果、他人の中に自分のコンプレックスを見出すことができます。

この時、相手の問題ではなく、実は自分の問題なのだと気付くことができれば、コンプレックスを解消する手がかりになります。

自分のコンプレックスに気付かなければ、コンプレックスはいつまでも心に居座り続けます。

自分の問題だと気付けば、自分にとってプラスになり、人間関係も良好になります。
今まで排除してきたものが、何らかの形で自分の中に入ってきて豊かになっていきます。コンプレックスの気付きは武器にもなるのです。

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コンプレックスを深めるのは苦しいことですが、心の生活を豊かにする可能性があります。これはユング心理学の基本の一つです。

 

今と昔

とはいえ、100年前のユングの時代と今の時代は、人を取り巻く環境が違います。

昔は親が強く、世間が狭く、本音を言える場所が見つけにくい時代でした。他者からのコントロールや抑圧により、また自分自身の抑制により、心に葛藤が生まれやすかったのです。自我の統合性と一貫性を保てず、しまいには二重人格になってしまうことも今より多かったようです。

今はSNSやネットでガス抜きができるので、葛藤を持ちにくい時代です。では、ある程度多面性を持っていても上手に飼いならせる時代なのかというと、そうとも限りません。ネット依存や脳の萎縮、攻撃性など、新しい問題も出てきます。

どちらがいい時代とか悪い時代とか、そういうことではないようです。

こんな気持ちを持ってはいけないと抑制するのに、どす黒いものがより大きくなってしまう。色んな人が、色んなサイズで、このコンプレックスを上手に手なずけて、楽に生きていけると良いですね。

オリジナリティとは、ばれない盗作である「家政夫のミタゾノ(5話)」

家政夫のミタゾノ、今回も面白かったー。

「オリジナリティとは、ばれない盗作である」

ウィリアム・ラルフ・イング(イギリスの司祭)

 

これが家政夫のミタゾノ第五話のテーマです。
ミタゾノさんは言います。

 

もし「パクりだろ」と言われたら、信念を持ってこう答えるんです。

「リスペクトしてオマージュいたしました」と。


つまり、
「家政夫のミタゾノ」は、
「家政婦は見た」をリスペクトしてオマージュした、
「家政婦のミタ」をリスペクトしてオマージュしました。
ということでしょうか。


後半ミタゾノが視聴者に向かって語るところから解決編に入るドラマの作りは、古畑任三郎をリスペクトしてオマージュした?

今回の「犯人が被害者になりすます」というストーリーも、古畑任三郎の風間杜夫の回をリスペクトしてオマージュした?

ドラマの最後の「チーン」という効果音は「トリック」や「ケイゾク」をリスペクトしてオマージュした?


でも、リスペクトとオマージュを前面に出したこの家政夫のミタゾノは、一つの作品として強烈な存在感を放ち、ファンも多く、高く評価されています。


良い作品にオリジナリティは必須ではありません

むしろ、純粋なオリジナリティを持った作品なんてほとんどないと言えます。作品に限らず、ビジネス、社会、歴史、哲学、生物など、あらゆることは分野を超えて影響を与え合っており、完全なオリジナリティなどほぼありえません。それが「オリジナリティとは、ばれない盗作である」ということだと思います。





ピー音で消されていた部分は、

竹久夢二って見返り美人のパクリなのよ」

「じゃああのモナリザパクリます?」

で合ってるかな?

 



ミタゾノさんの決めゼリフ

「人間は真実だけでは生きていけない。多少の夢や嘘、時には自分を騙すことも必要なのよ」


そうですね、まっすぐ純真なままでは社会を生き抜けません。時には自分を騙さないと。しかし、なかなか難しい。うまく騙して導いてくれる人がそばにいるとすれば、手放してはいけませんね。

 



昔の私は潔癖で、人真似はいけないことだと思っていました。自分に厳しく、他人にも厳しかった。でも最近はだいぶ頭が柔らかくなり、真似から入るのもアリだよね、と思えるようになりました。

そのきっかけは、

「人はオリジナルで創るよりも何かを模倣するときのほうが実力を出せる。1からオリジナルを創ろうとすると、力みすぎて萎縮して実力を発揮できない。何か元になるものがあってそれをアレンジするほうが実力を発揮できる。


という風なことをどこかで読んだからです。
模倣していると開き直ったほうが、リラックスして取り組めます。全力を出せます。限界を突破し伸びしろが増えます。こうやって練習を重ねていけば、いざオリジナルで勝負しなければならないときのための体力がつきます。

初めからオリジナルを創ろうとしても、技術がない。経験がない。思いは空回りし、力みすぎて羽が開かない。



YouTubeで曲を探している時、たまに【MAD】と付いたものに遭遇することがあります。MADとは、既存の曲に合わせて既存のアニメ映像等をつぎはぎ編集した動画らしいです。

他人の作った曲に、他人の作った映像を切り貼りして編集する。確かにかっこよく編集できているけれど、自分では何も創り出せませんよと堂々と言っているようなものではないか、と以前は思っていました。

でも今は、これも良いのだと思っています(著作権の問題は置いといて)。大量の素材の収集、絵の記憶力、曲の理解力、編集テクニック、何より根気。私には真似できません。何もしない私よりも、全力で自分の動画を作っている彼らの方が絶対に人生を謳歌し自分に責任を持っている。


個性的に見える芸術家や漫画家やスポーツ選手も、たくさん練習し、真似をし、それが洗練されていって一人の人間として形作られたということ。

良い意味でモノマネして吸収して自分を作っていきたい、と思わされたドラマでした。

ユーミンの宇宙人声はパイプオルガンが乗り移ったものだった(感想:180417 マツコの知らない世界)

松任谷由実さんは、私が音楽に目覚めた子供時代、すでに女王の地位を確立されていらっしゃいました。

クラシックが好きで、ポピュラー音楽に疎い子供だった私でさえも、ミュージックステーションとHEY!HEY!HEY! 、なんならCDTVも見ていたというJPOP黄金時代を過ごしました。

「真夏の夜の夢」のあやしい雰囲気、「春よ、来い」の女神感、ジブリの曲のお姉さん感。自分の世代より前の曲も、よくテレビで流れるので知っています。

声が特徴的ですよね。
ワ~レ~ワ~レ~ワ~、う~ちゅ~う~じ~ん~だ~、感がありますよね。

世代ではないので熱心なファンではありませんでしたが、なぜか分からないけど好きでした。その好きの理由が今回分かったような気がします。


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私はなぜか、「松任谷由実はモンゴルでホーミーを習っていた」と思い込んでいたのですが、調べたところ記憶違いのようでした。習ってはいないけれど、分析したらホーミーと同じ波形をしていた、ということでした。

「ド」の音を発したら、1オクターブ上の「ド」、さらに「ソ」「ミ」なども聞こえてくるのが倍音です。倍音を突き詰めた歌い方がホーミーです。

ユーミンの歌声の秘密は倍音が豊かなことだと思っていましたが、今回もう一つの秘密が明らかになりました。

ユーミンの声はパイプオルガンだったのです。

(4月17日 マツコの知らない世界で松任谷由実さんが語ったこと)

中学の時にパイプオルガンの音を初めて聞いてね、教会中がガーッとなって、パイプオルガンに感応しちゃて涙がバーッて出た。
その時に、パイプオルガンの音がプリントされちゃった。

パイプオルガンのような音色してない?
ギフトだからしょうがないよね、困っちゃう。
テレビでこんな話したことない。

 

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ギフト、発達障害の憧れのワードです。
いいなあ、こんなギフトあったらなあ。それは置いといて。

普通、倍音が多いと、ドラマチックで感情が溢れているように感じると思いますが、ユーミンの場合は逆に淡々としているように感じます。前者は浜崎あゆみや宇多田ヒカルなど。

その違いがパイプオルガンなんですね。

ユーミンの場合、確かにパイプオルガンの鍵盤押しっぱなし感、鍵盤で音程を切り替えている感があります。

全部にレガートがついているので、歌詞を語りかけるという感じではありません。このへんが下手だと言われるゆえんでしょうか。(私は全然下手だと思わないのですが、求める所が違う人は低評価をつけますよね)

音量を一定にして歌うというのは難しいものです。
例えば宇多田ヒカルの First Love を松任谷由実の真似をして歌ってみるとします(私はなぜかドラえもんの声になってしまいますが)。その後に宇多田ヒカルの真似をして歌ってみると、とても楽に感じます。
音ごとに自然な強弱をつけて歌うほうが、高い音も低い音もすべて一定に歌うよりも楽なんです。

そして、パイプオルガンは音程も一定。
しゃくらずに一発で目当ての音を出すのは難しいです。上手いと言われている歌手たちも、みんなしゃくって探り探り音程を合わせています。それは悪いことではないし、むしろ表情がつくのでカラオケの採点では加点されますが。楽器としては一音がフラフラしているのは良くありません。

普通の人がパイプオルガンを真似して歌ったら、のっぺりして下手くそだと思います。ユーミンの場合はパイプオルガンのような倍音の多い声質、さらにハモリも全部自分なので、本当にパイプオルガンのよう。

人間の声に近いのはチェロだとかサックスだとか言いますが、パイプオルガンで生きる声もあるんですね。人それぞれ、ものさしは一つではないんだと気付かされます。

私がユーミンに惹かれた理由がなんとなく分かりました。
吹奏楽部で、「一度音を出したらくねくね調節するな。最初からスパッと目当ての音程・音量を出せ」と言われていました。
これはユーミンの歌い方そのものでした。
私の目指すベクトル上にユーミンがいたのです。